ドン・イシドロの言葉3
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「In to the harmonic field」 mimu 2008
(去年、子供が幼稚園に入りすぐに家族で海外転勤することになったママへのプレゼントに幼稚園の建物とか園庭を取り入れて絵を描いて欲しいと頼まれて作製したものです。私に絵を頼んでくれたママ、海外に行かれたママをはじめ、今後もご縁が続いて行きそうな予感です。)


誰にでも理解できるようなシンプルな言葉っていいですね。やさしいわかりやすさで語っているので、とても「当たり前」のように感じますけど、「当たり前」のことを思い出すことは案外、貴重なことかもしれません

ドン・イシドロの言葉2」からの続きです。

「〜今この瞬間、この複雑に絡み合った問題に対する答えはない。信じがたいと思うかもしれないが、実際マヤの予言はゼロ年の訪れとともに、すべての周期が完結するとはっきり告げている。

環境汚染も人々の精神状態も、もうどうしようもないところまで来ている今、この変化が必要な時と言える。続く自然災害、地球の温暖化、日々見られる奇異な自然現象は、世界の様々な伝統文化の継承者たちによって予言されていた。

運命論者や世論を操作しようとしている人たちがはやし立てる終末論などのことではなく、現在のシステムの終わりということだ。そして人類の運命はこの変化とともにあり、すべては私たちの確かでポジティブな行動にかかっている。

私たちが生きる本来の目的を見つめなければならない今、残念ながら人々はミレニアムの終わりに熱狂している始末だ。私たちが生きているこの命は永遠ではないことを忘れてはならない。早かれ遅かれ、誰もがいつかその生涯を終える。

そのとき、いわゆる最後の審判で自分を裁くのは自分自身だ。そこでは誰も逃げたり嘘を言ったりだましたりすることはできない。そして人類が生きるこのかけがえのない歴史のなかで、ひとつの人生という素晴らしい機会を与えられた私たちが、そこで何をしたかを証言しなければならないのだ。

私たちひとりひとりの命は人類全体のそれと同じくらいかけがえのないもので、決して無駄にしたり、無意味な日常に逃避して時間を浪費してはいけない。

私たちマヤ人は、今この時代にひとつの光、案内人となる運命だ。虚しい行為はやめて調和にあふれた生活へと戻るよう、ほかの先住民たちとともに、世界中の兄弟たちに向かって呼びかけている。

人間としての意識を取り戻し、これ以上自然を壊し続けてはいけない。この私たちの呼びかけを理解してくれる者たちが、きたるべき変化を生き抜き、新しい世界をつくることができる。

地球に異変や災害は起きるかもしれないが、人類にとっての最大の危機は、人間として持っている価値観の消滅にある。自分の存在の根拠を何に置くかが、この変化を生き抜く鍵となる。人類がいまだかつてない狂気の時代に突入するかもしれない今、人類は民族と国家の壁を打ち破り、個人を尊重し、誰も排除することなく、何も押し付けることなく、ひとつになることが求められている。

そこでは調和が君臨し、偽りのない真の自由にあふれた世界が生まれるだろう。そして、そこには人を抑圧するような宗教もない。真実は私たち自身のなかにあるのだから。

これがマヤ人の、そして人類全体の運命だ。5番目の太陽が登るゼロ年の到来。そしてバラムたちの帰還のとき。

どれだけその手に持っているかではない。真に大切なのは、どれだけその心のなかに持っているかだ。」(ドン・イシドロ)




そして、もうひとつマヤ・マム族の賢人の言葉も追加したくなりました



賢人たちが語るとき、
それは疑い深い者たちを説得するためではなく、
本当の自分を探して歩み続ける心の旅人たちを導き、
その意識を目覚めさせるためだ。

そしてその言葉は、ただ知識人たちの議論や、
人々の心の栄養のためだけに発せられるのでもない。

今このとき、
スピリチュアリティとは自己を見つめ直したり、
瞑想したりすることだけには限られない。

私たちが生きるこの“予言の時代”、
スピリチュアリティとは
行動そのもののなかにあるのだ。

その行動とは、母なる自然との
調和のなかで生きるすべての行動を指す。

そしてもっとも大切なのは、
それぞれが自分自身との調和のなかで生きるということだ。

                   ドン・パスクアル




さすが賢人(笑)!素直に納得してしまいます

ところで今この時期、私たち人類はサナギから蝶になる変容の時と言われていますが、我が家のベランダの鉢植えが虫に葉っぱを食べられてるなぁと思っていたらあっという間に2鉢目もすべて食べられそうになったので、慌てて探し出して、容器に穴を空けキャベツを入れて子供たちと観察することにしました

でも子供たちは興味なしそんなものなのかなぁ。。。私はサナギから蝶になるところが見てみたいのですでも綺麗な緑色の青虫はもの凄い食欲と大量のうんちをして、どんどん大きくなり色も鈍い色になってちょっと怖くなってきました(笑)

蛹(サナギ)から蝶へ



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2009-06-30 01:00 | ワンネス(一つの命・一つの心) | Comment(2) | Trackback(0)
ドン・イシドロの言葉2
今日6月21日は夏至でしたね。冬至は月でいう新月のようなもので、1年のうちで一番日が短くなり、古代の人々は太陽が一度死んで生まれ変わると捉えていたようです。そして生まれ変わった太陽はパワーアップして夏至にピークを向かえます。ですが、季節的にはこれからがギラギラとした夏へと移行して行く時です。これはエネルギーが先で、物質界(現実)には遅れて現れるという自然界のルールが働いているのだそうです。


ドン・イシドロの言葉1」の続きです。

◉  ◉  ◉  ◉  ◉  ◉  ◉  ◉  ◉  ◉  ◉  ◉

「〜社会での地位が高ければ高いほど、より責任感を持ち、謙虚でなければならないはずなのに、現在の社会はそうでないところに問題がある。私たち先祖の時代は、国の指導者はその叡智の深さと国民のために尽くす態度から、みなから愛され尊敬される存在だった。

生涯をかけて社会に貢献し、決して権力を誇示したりはしなかった。その役割は社会の均衡を保ち、先祖代々の世界観を維持していくことにあった。

しかし今の指導者たちは、護衛にとり囲まれて贅沢な車に乗って移動し、耳元でおべっかを言う者たちに囲まれて思い上がり、自分の権力を疑うことなく、肝心の現実社会からは隔絶されている。

私はそんな光景を見て、国民のために尽くすというこのうえなく尊い仕事をしているのに、この者たちはいったい何を恐れているのか、と疑念を抱かずにはいられない。

世界の均衡は、すでに国家間だけの問題ではなく、企業などの小さくても強いグループの動きにもかかっている。グローバリゼーションの問題もそうだが、こういった権力に操作されていることにさえ気づかないで、物や財産を増やすことに専念するという絶え間ない戦いと競争に明け暮れている。

しかし、そんなものは自分の家と見栄こそ満たすかもしれないが、心は空虚なままで方向を見失ってしまっている。綺麗な夕焼けを眺めるよりも、携帯電話を買いたい。心を満たすよりも財布を満たしたい。人々はそこまで狂ってしまっている。

自由とは、自分たちの目的を達成してくれそうな指導者を選べるということだけではないのだ。

国境を引き、国家を作ることによって、隣国への憎しみが生じ、いつ武力対立が勃発するかわからない緊迫した関係をつくり出すのは国家間の責任だ。その結果、国民個人が大切な人を失い、その恨みからさらなる暴力が生まれ、、、、と悪循環を繰り返している。

私たちは国家への敬意と国の法律が信念や良心からではなく、恐怖と抑圧によって保たれているという警察国家に生きている。それどころか、今や人権を都合のいいように解釈して、自分勝手で一方的な秩序を他国に押しつけ、それに逆らう国に対しては侵略したり、戦争を仕掛けたりして、世界の警察と自称する国まである始末だ。

自由とは、もっとずっと重要なものであると同時に、とてもシンプルなものだ。それは安らぎと調和のなかで快適に行動できるということ。

現実にただひたすら順応しつつ、あの世での幸せを祈ることではなく、今ここでこのときをいかに幸せに生きるかということが大切だ。そしてそれはとても単純な心がけ次第でできることだ。

たとえば、もっと子供たちと好きなことをして過ごす時間を持って、ただせわしなく生きても誰もどこにも行き着かないことを子供たちに教えること。私たち自身にとっても、テレビの前に座って空虚な時間を過ごすよりも、もっと安らぐ時間の過ごし方があるはずだ。

ただこういったことはすでに個人の問題ではなく、社会構造と経済システムのあり方と問題をともにしている。〜」

「ドン・イシドロの言葉3」に続きます。

◉  ◉  ◉  ◉  ◉  ◉  ◉  ◉  ◉  ◉  ◉  ◉

「〜自由とは、自分たちの目的を達成してくれそうな指導者を選べるということ〜」

政治に対しては、自分たちの指導者を選ぶという選挙にも興味が湧かないような環境がすでにできあがっているのかもしれないですね?

こちらの映像、このドン・イシドロ氏の言葉に繋がりますね。

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2009-06-21 23:00 | ワンネス(一つの命・一つの心) | Comment(0) | Trackback(0)
ドン・イシドロの言葉1
ブログの更新がなかなかできませんでした。パパさんが2ヶ月半の出張に出ていて戻ってきたのはいいのですが、育児疲れが溜まっていたのか、それともパパさんにエネルギーを吸い取られているのか?(笑)それとも与えているのでしょか?これからは真の女性性が復活して統合的、調和的な社会を創造していく時と言うことなので、女性的な慈しみ育む力を養いたいところです


ところで、マヤの長老たちが扱う暦には、聖なる暦、予言の暦、地球の人間の暦、宇宙の暦など数にして20種類あり、その多くは現時点ではまだ世に出すことが許されていないのだそうです。それら20種類の暦を集めることが自分の使命であると懸命に取り組んだ人物が書いた本「マヤ 占いと予言」にわかりやすいメッセージがあったので紹介したくなりました。

図書館でふと目に止まり、なんとなく家に連れてきてしまった本ですが、もう返却しなくてはいけないし、記事にすると自分の理解も深まるし、より意識的になれる気がします。その本によると私の場合は知識を叡智に変え、明快に意志の伝達をすることで自己成長できるのだそうです。blogも自分の成長のために続けている感じでなんとなく楽しいお勉強の位置づけです。

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「すべての周期が完結する2012年 人類の運命」

作者の「マヤ人にはこの先どういう運命が待ち受けているのでしょう。」との問いに対するドン・イシドロ氏の返答から。

「マヤ人というより、人類にはと言ったほうが適切だろう。マヤ人は地球のすべての住人とその先の運命をともにする定めだ。人種や国家の違いなどもう問題ではない。地球がひとつの生命体としてたどり始めた運命、今の世界で起きている様々なこと、そしてそこに住むすべての人の生活、どれをとってもひどいカオスのなかにあることがわかる。

実際、ことの重大さは、科学的な分析を見るまでもなく誰でも気づくことだ。人類の軽率さが招いた、取り返しのつかない不均衡がそこにある。人間が自然の摂理から離れて暮らし始めたときから、予測できていた結果だ。

自由や民主主義について多くが語られているが、いったい何の自由の話をしているのかと疑問に思う。社会の体制についても誰もが発言できるという自由が奪われ、それに異議を唱える者はすぐに始末される。これは私たちが住む中米の小国で当たり前のように起きていることだが、実際はもっと“発展した”国々でも行われている。

私たちに押しつけられている自由は、国の指導者がつくる規則を何よりもまず尊重するという条件のもとに成り立っている。そして結局、その恩恵を受けるのは彼ら少数の指導者たちだけだ。

うわべだけは洗練された世界政治のシステムはこのためにある。指導者たちの間で大衆の民意とは関係なく取引がなされ、その結果、大衆は無気力な状態に陥っている。

私たちがとらわれている価値観を冷静な目で見直してみれば、すぐその虚偽性に気づくはずだ。単に偽のモラルがはびこっているという話をしているのではない。人間の行動の規範を示す宗教はもっと深刻だ。終末だけミサなどの行事に出席して、十分満足できるような程度のものになりさがっている。

私が言いたいのは、真の自由とは、ただ好き勝手に何でもできるということではなく、何よりも精神的に自己が解放された快適な状態でいられるということだ。そしていつどこでも人々に幸福感を与え、調和のなかで尊重し合って生きられる状態を指す。

私たちにとっての真実とは、私たち自身の認識にほかならない。それは長所、短所を含めてありのままの自分を素直に受け止め、受け入れたときはじめて認識できるものだ。

生まれつき多くの才能に恵まれている人もいるが、誰でもほかの人にはない何らかの素質を持っているものだ。それは互いに競い合うようなことではない。実際、人は誰でも互いに必要とし合い、助け合って生きている存在だ。〜」

「ドン・イシドロの言葉2」へ続く。
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「〜いったい何の自由の話をしているのかと疑問に思う。〜」思わず、苦笑してしまいましたが、自分たちのことを笑えるユーモアも時には必要かもしれないですねマスメディアだけの情報、与えられるものだけを受け取っているだけでは自由からは遠ざかってしまうようです。

「〜人は誰でも互いに必要とし合い、助け合って生きている存在だ。〜」

心理学者マズローは、お互いに自己実現できる社会の状態を「サイナジック(synergic)」と呼んだそうです。「サイナジック」とは「協同的・相互扶助的」という意味の造語だそうです。

つくづく心理学的アプローチはスピリチュアル(霊的、精神的世界)を把握するのにわかりやすいツールだと思います。精神世界的なことと科学的なことの融合、「あらゆる二極的なものが解け(溶け)合いひとつになって行く芸術」というイメージがぼんやりとあります。

私は過去に、「アーチストになるために、まずは自分が優れた道具にならなきゃ!」なんて思っていたことがあるのですが、さていつになることやら。。。でも、いつも心の中にイメージしていれば、なんとなくなれる気がします
ところで「優しい」は「優れてる」ってなんか意味深です。

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2009-06-21 01:43 | ワンネス(一つの命・一つの心) | Comment(0) | Trackback(0)
宮沢賢治




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「HELIO COMPASS GUIDE BOOK 2009」から写真をトリミングいたしました



世界がぜんたいに幸福にならないうちは
個人の幸福はあり得ない

自我の意識は個人の意識から
集団社会宇宙へと次第に進化する

この方向は古い聖者の
踏みまた教へた道ではないか

新たなる時代は世界が
一の意識になり生物となる方向にある

正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に
意識してこれに応じて行くことである

われらまずもろともに
かがやく宇宙の微塵(みじん)となりて
無方の空にちらばろう

われらは世界のまことの幸福を索(たず)ねよう

求道(ぐどう)すでに道(タオ)である

    宮沢賢治「農民芸術概論綱要」より



私は目にみえる以前の世界というものに興味を抱くもっと以前だったのか、宮沢賢治の言葉には何か魅かれるものがありました。意味は理解できなくても、何かきらめきのようなものを感じることができるようなワクワク感がありました。右脳で感じていたのかもしれません。

「けれども、私は、これらの小さな物語の幾きれかが、おしまい、あなたの透き通った本当の食べ物になることを、どんなに願うか分かりません。」「わたくしという現象は 仮定された有機交流電灯のひとつの青い照明です」が印象に残っていて、とくに「透き通った本当の食べ物」という言葉が大好きでした。

「青い光」というとブルーソーラーウォーターもそうですが、こちらも気になります。bigpapaさんのblog記事です。
http://bigpapa920jp.blog18.fc2.com/blog-entry-303.html
http://bigpapa920jp.blog18.fc2.com/blog-entry-347.html

そして最近、上にあります「農民芸術概論綱要」の一部を知ることとなりました。本は読んでいません(笑)。つくづく時間の加速に伴い、今地球にいる人々が一日に得る情報量は一昔前の人の一生分にもなるのでしょうね。

そういえば、鉱石ラジオを初めて知った時も宮沢賢治のことばに触れた時のような不思議さを感じときめきました。

KOBAYASHI KENJI ART WORKSの「EXIBITION」の「透明電気集」の作品、観てみたかったです。

賢治は幼少の頃から大の石好きで、「石っこ賢さん」と家族や知り合いにいわれるほどで、盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)で鉱物を専門に学んだこともあり、宝石や鉱物に詳しい知識をもっていました。その影響もあり、賢治文学には多くの宝石が登場し、空や太陽・月・星・海などを様々な宝石にたとえているそうです。

「宮澤賢治 宝石の図誌」
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平凡社のこの本の紹介文には「賢治の詩篇、短歌、童話などには、数多くの宝石が散りばめられ、いずれも賢治の心象風景を、あざやかに描く重要なモチーフである。本書は賢治の、美しくきらめく宝石の世界へ誘う。」とあります。

きっと賢治は目に見える以前の世界、見えない世界、自然や宇宙と一体となれる人だったのでしょうね

ところで私のこのようなblogも、開設する時にとても迷っていたのですが、あるタイミングで沈む夕陽の上に銀河の形をした大きなうず巻き雲を見た途端、励ましを受けているような、なんとも言えない気持ちになり子供のように大泣きしてしまい、結局あっさりblogを始めることにした経験があるのです(笑)なんだったのか未だにわからず。。。。でも嬉しかったんです。


さて、みなさんにとっての「透き通った本当のたべもの」ってなんですか?




この映像は、お友達のblog「Simple life」で紹介されていて、お気に入りになりました。本当に宝石のように美しい

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2009-05-24 05:00 | ワンネス(一つの命・一つの心) | Comment(6) | Trackback(0)
優しい気持ち
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 『私への息子からの母の日のプレゼントです。ありがとう。』

結婚、まして出産とは無縁だと思っていた時期がある私も、今は子育て真っただ中といった感じです。私は2回の妊娠中とも出産までつわりのような状態で、その日1日を過ごすだけでせいいっぱいでお腹への優しい言葉掛けなどほとんどできませんでした。

そのような影響もあったのか、初めての育児はなにかと心配なことが多くありました。生まれて初めてのオムツ替えの時に、いざオムツを外して新しいオムツに変えようと両足を私の片方の手で軽く持ち上げた途端、いきなり背中で尺取り虫のように動きながら、小さなベビーベッドの壁に頭をゴツンとぶつけて止まったと思いましたら、元気良く放物線をオシッコで描いていました(笑)。

妊娠中から、胎動で酔ってしまうのではないかというほど動いていましたなので最初は元気がいい子なのかなと思っていたのですが、元気過ぎて抱っこしても常に強い力で身体を反らせたり頭を振り回したりして機嫌をとるのも至難の技でした。寝かしつけも激しい動きがないと眠れない子供でした。私がひたすら立って縦乗り抱っこです多動症も疑いました。

9ヶ月の時は哺乳瓶を叩き割ったこともありました。歩き始めると、公園などで同じくらいの小さい子を叩いたり押し倒したりし始めました。この頃から子供の乱暴さに疲労して、同じくらいの子がいるところには行きずらくなっていきました。そして二人目を妊娠してまたつわりが始まり、長男にはさらに悪い影響を与えてしまったのかもしれません。

今になって思うことは、乱暴な行為も、こどもにとっては不安ながらのコミニュケーションの一つの形だったのだと感じます。

妊娠後期、二人目が生まれた後も買い物に行くのも一大事でした。上の子はお店で走り回り、駐車場でも危険極まりなく、抱っこしても強い力で抵抗します。着替えなども、とにかく人にされるのが嫌で、自分のしたくないことには強い力で拒否します。オムツ替えも毎回暴れるのでヘトヘトでした。

下の子が生まれたばかりの時も、何かと手を出していじめていました。一番あぶなかったのは、気づいたら、生まれたばかりの新生児のお腹に自分のお腹をつけて体重をかけていて、下の子は泣きもせず真っ赤になっていました

そういった毎日を過ごしていて、長男を叱ってばかりいる日が続き、ある夜、可愛いあどけない寝顔見ていたら可愛そうになり、この悪循環を生み出してしまっている自分が嫌になり、大泣きしました。その時から、本気で子育てに向かいあうようにしようと思いました。

周りの大人がイライラしていたり、叱られてばかりだと、きっとママ(パパ)は自分といても楽しくないんだと感じ、悲しみを越えて怒りへと変わり、乱暴な行為になってしまうのかもしれません。

本やネットの情報を取り入れながら、いろいろ試行錯誤が始まりました。それまでは、ただ必死で1日を過ごしていただけだったと思います。「抱っこ法」に取り組んでみたり、「自己肯定感」をもってもらうにはどうしたらいいかとか。

たとえ障害があったり、どんなひどい行動をとっていようとも、子供には「みんなと一緒に仲良くしたい」「がんばりたい」という気持ちがあるというお話を知り、それを信じてみようと思いました。親を亡くした子は本当に小さい子供でも「自分が悪い子だったから、ママ(パパ)は死んじゃったんだ。」とひどく自分を責めて心を病んでしまうのだそうです。


私はスピリット的なものに興味はありましたし、サインにも後から気づいたこともあり、気がかりをかかえながらも「この子の笑顔はとってもいい光を感じるから大丈夫!」という気持ちを頼りに過ごしてきました。

幼稚園に入り、案の定、集団生活に支障がありました。それはオモチャの貸し借りができすにおともだちに噛み付いてしまったり、叩くひっかくなどの乱暴行為でした。私は改めて、やはり自分の接し方が子供にストレスを与えていたと後悔して涙が溢れてきました。

子供が通う幼稚園は少人数制でキリスト教がベースにありますが、とても暖かみがあります。そこでサポートというのはこういうものなんだと感じました。家庭の限られた人間関係では改善がなかなか難しかったものが、幼稚園の先生など多くの人に暖かく根気強く接して頂けたこともあり、長男はここ1年で飛躍しました。

家庭では夜寝る前に「○○くん、生まれて来てくれてありがとう。大好き。」と語りかけをしていましたが、前記事にも触れたように「ホ・オポノポノ」を実践してからの効果も大きかったと思います。

そして、子育てを通して、もう浄化できたと思っていたのに、自分の無意識に閉じ込めてきたトラウマがまだあって、沸々と意識上に浮上してくるのに気づきました。意識できるようになった(知った)ということは、「聖なる予言」(書籍)にあるようなコントロールドラマから抜け出し、より自由になれるきっかけをつかんだことになりますね。

トラウマを知ると、ただ呪縛されてきただけでなくて、それによって得たものもあるということに気づく感じがします。そう思うと感謝したくもなりますね(笑)。


そして、ひとまず今は子育てに本気で取り組むというのでなく、子供の成長を一緒に喜んでいるところです。そしてまた、少しずつ子供の成長に合わせて取り組むこともでてくるでしょう。


今年の母の日には、私(ママ)を描いてくれました。私は見た途端に「かわいい〜〜ありがとう!」と感嘆の声をあげ、ハートがじんわり開くのを感じました。見ているとポカポカしてきます。この絵は私というより、彼の優しい気持ちそのものだと感じます。しばらく部屋に飾っておくことにしました。


金子みすずさんのこちらの詩は以前から大好きで子育て(自分も)の励みにしてきました。そして今日、偶然この話題が出て来ましたので、UPしたいなと思ったのです。


金子みすゞ詩の世界みすゞこれくしょん©HeartFactory

ママともだちをみて、良い刺激を受けています。みんな違うけど、みんななかなか凄いんです

いろいろありますが、シンプルに笑顔や微笑みの効果は子供にとっても大人にとっても効果絶大で人を楽しく自由にするのかもしれないなぁと感じます。「笑み」は「美しい恵み(恵美)」なのかもしれません。

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2009-05-13 00:06 | 子育て | Comment(9) | Trackback(0)
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