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古神道入門
私は精神世界的なものに興味を持った頃に、老子の「道・タオ・陰陽」」というものにとっても魅かれたのですが、あまりに水の流れのように自由で、「暖簾(のれん)に腕押し」のような?「雲を掴む」かのようなあまりの柔軟さに訳がわからなくなった覚えがあります(笑)。
そして最近は古神道的なもの、和の精神といったものにとても興味を持ち始めました。それで今回は龍氣(りゅうき)さんのメルマガ『精神世界の叡智』(書籍紹介)から転載させて頂きます。
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『古神道入門 - 神ながらの伝統』
古神道には教えがありません。
教祖がいない。
教義もない、経典もない。
大自然が相手なので、そういうものは一切ない。
自然が教師であるということを
古神道は唱えています。
古神道は生活の道、
生活そのものが「神随ら」(かんながら)の道
として伝えられてきています。
▼ 神になる
日本の古神道では、神が産みたもうたと。
神が産んだ子供たちであるから、
人間も神の子である。
しかも霊魂を一人ひとりが受け継いできていますから、
人間は御神体そのものを表現した姿である。
地球は神のお宮であり、
神の子である人間はその御神体である
ということになるわけです。
ですから、人間が心から罪とか汚れを祓いさって、
本来もって生まれた本性、本質的なものに立ち還れば
神になる。
もともと神の性をそなえている人間が
毎日、神に復帰するのです。
▼ 分け御魂
日本には神道という言葉も、
古神道という言葉もなかったのです。
しかし、仏教や道教や儒教やらが中国から入ってきたために、
さてそれでは日本古来のこの道を何と名付けたらよいものかと、
神道という言葉になったのでしょうか。
神道の場合は、
神さまが人間をお産みになった。
もちろん山川草木、この地球も太陽も月も
神さまがお産みになった。
だから太陽と月と星と、
それからこの地球上のあらゆる動物、植物、鉱物、人間も
みな兄弟、同胞であると。
みなそれぞれ神の御魂の分け御魂であると、
そういう信仰が古神道です。
どういうところに行っても、
血のつながりのある親子であり、
兄弟であるという受けとめかたであります。
▼ 和の精神
我が国の古代人は自然をよく観察し、
深い感性でその自然の営みを
我が人生にも取り入れました。
自然の働き、大自然の営みに
畏敬の念をもって素直に受け止めていました。
非常に大きな自然との共生という、
信仰のような麗しい暮らしぶりが
我が国の古代人には見られるわけです。
これを和の精神とか、
和の心とか言いますが、
本来そのように調和のとれた
自然に順応する生活のなかから
日本人の独特の心情、感性豊かな生活態度
というものも表れて来るわけです。
我が国の古代人は、
自然に順応する生き方を
尊いものとしてきました。
▼ 生活信仰
日本人は「無宗教です」と言う人が多いですが、
決して無宗教ではないわけです。
潜在的な信仰というのが日本人にはあるわけです。
縄文の古代から大自然の運行、そういう動きを
神の働きとしてとらえ、自然に対する畏敬の念は
日本人の心から消えることはないわけです。
なぜなら古神道というのは、宗教というより、
自然と人が共生する生活の習慣であるからです。
あえていうなら生活信仰というものです。
火を使うときは火の神様を拝む、
井戸の水を汲み上げるときは水の神様を拝む。
このように日本人には自然に対する、
火や水に対する畏敬の念というのが
常に働いていたのです。
▼ 神ながらなる大道へ
神ながらの道とは、
天然、自然のままに
という意味でもあるわけです。
天然と自然という言葉は
ほとんど等しく使われていますが、
実は天然の「力」が自然に及ぼされて、
我々の目に見える現象界が現れているわけです。
こういう思想・言葉は
地球上のどこを探しても日本列島以外にはなく、
日本語はそういう上古代の人達からの言葉が
現に生きて使われているという国柄なので、
「日本は神の元の国である」と表現されてきたのです。
その神ながらの道がこれからの
新しい21世紀を迎えるにあたって、
地球をリードする原理、原則になるわけです。
神ながらの結びが原理となるわけです。
■ 古神道入門 - 神ながらの伝統
小林美元著 評言社
http://amazon.co.jp/o/ASIN/4828202498/arigatou05-22/
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■ 著者紹介 ■
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小林美元(こばやし びげん)
昭和2年台北市生まれ。台湾総督府台北高等商業学校在学中、
学徒動員令により、海軍第4艦隊高雄警備司令部に勤務。
ながき従軍中に死生を深刻に観続けてきた。戦後同校卒業後、
昭和30年には熱田神宮学院にて神職の資格所得。同年、熱田
神宮出仕拝命。爾来、熱田神宮奉仕12年、熊野本宮大社奉仕
1年、大神神社奉仕11年、石切剱箭神社13年、合計37年。
欧米人の神道研修会指導のために5度1ヵ月ずつフランス・
イタリア等に出向。現在古神道研修のリーダーとして東京・
大阪・京都・西宮・神戸等各地で研修会主催。
著書「実録ヨーロッパの神道研修」平成2年1月、天皇・
皇后に献上、天覧台覧を賜る。平成17年6月没。
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~火を使うときは火の神様を拝む、~
これに繋がる面白い記事をみつけました。宮崎アニメの「ハウルの動く城」を霊的に読み解いているものです。「ハウルの動く城」にはカマドの火、名前はカルシファーがいます。
◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎
~略~しかもハウルは、忘れられた過去の叡智も、しっかり復活させている。それがカマドの火、カルシファーである。昔は、洋の東西を問わず、必ずカマドの火があって、それが家の守り神とされていた。
それは、人間が勝手にそう思っていたのではなく、現実に、カマドの火には、天使クラスの霊体が宿り、家屋と住人を守護していたのである。~中略~
未来の動く家では、カマドの火も進んだ形で復活し、どの家にも、天使クラスの守り神が宿るようになる。そしてそれは、ルシファーに分類される天使である。だから、カルシファーという名前は、まったく正しい。
(平岩浩二 宮崎アニメの霊的要素 から抜粋)
◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎
まったく正しい(笑)。
私も家事をしていて、水と火にはとっても感謝しています。時々、手を洗うだけでも温泉に入ったかのように水が浸透してきて気持ちが良くて思わず「お水さん、ありがとう!!」なんて言ってる時があります

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【「幸福」についての言葉 書籍「もどってきたアミ」より】
「それもとても重要なことだ。自分じしんに対する愛は、
自分の幸福を探すことにつながる。
他人(ひと)に対しての愛は、他人に奉仕すること、
他人の幸福のためにはたらくことにつながる。
このふたつの力はおたがいにバランスがとれているべきなんだ」
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良きインディアンであれ!
これから時々、インディアンについての記事をご紹介していきたいと思っております。インディアンと日本人はとても深い繋がりがあるのだそうです。
「とうもろこし」は、インディアンが時間と技術をかけて造り出した「人口種」なのだそうです!
私の個人的な体験ですが母乳を与えていた頃、とうもろこしを食べると母乳がたくさん出るので「いったいとうもろこしって。。。。?!!」と、とても気になる「聖なる植物」に感じていた(笑)ものですから、この事実を知った時はインディアンの素晴らしさを実感しました。
以前テレビの放映で見たのですが、南米のある遺跡には黄金でできたとうもろこしが存在していたとありました。
こちらの記事にも、素敵なあるインディアンの言葉を紹介していますので、ご覧ください。
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『ビー・ア・グッド・インディアン --- あとがきにかえて 北山耕平』
日本列島でいわゆる「アメリカ・インディアン的な生き方」が主流だった時代は、俗に「縄文時代」などといわれている時代である。狩猟採集であれ、農耕であれ、その間、日本列島のインディアンたちは「地球の守護者」としての生き方をとりあえず守り続けた。
この時代は、軽く五千年から数万年は続いたとされる。弥生時代になってから現代までのたった二千五百年ほどの間に、日本列島のインディアンたちは異なった生き方を選択して日本人になっていった。
日本人になるのと引き換えに、一切の神話や伝承や古代から伝わる儀式などは失われたと見ていい。われわれは、縄文時代の記憶を喪失した。消されたのかもしれない。
巨木の森に覆われていた弓の形をした列島から、まず木々が姿を消していった。そして矮小化された自然を自然とする生き方が醸し出されていく。
虹はまだ見えるだろうか? 中国大陸と朝鮮半島と北部九州にまたがる海洋国家を構成していた「倭人」たちが、混血と陰湿な差別を巧みに利用することで「日本人」をつくりだし、自らそのうえにのっかかっていったと想像される。
日本は、アメリカと同じように、あらかじめ国家として建国されたようだ。日本人はどこからかやってきたのではなく、日本列島においてつくりだされた。神話は捏造され、わたしたちは、別の生き方を選択し、母なる日本列島、母なる地球という概念を喪失した。
わたしたちはインディアンであることをやめ、インディアンであった自分を卑しめおとしめ、日本人であることをトレーニングされることで日本人になっていったのかもしれないのである。
かつて公民権運動華やかなりし頃のアメリカでは、黒人たちが、しばしば「白人のように考える黒人」のことを、「外側が黒くてなかが真っ白」として「オレオ(クッキーの商品名)」と呼んだように、インディアンたちは「白人のように考えるインディアン」のことを「外側が赤くてなかが真っ白」として「アップル」と呼んでいた。
南太平洋では「外側が茶色でなかが真っ白」として、その手の人間のことは「ココナッツ」と呼ばれた。日本人はさしずめ「外側が黄色でなかが真っ白」な「バナナ」かもしれない。
しかし最近ではこうした言い方を耳にすることはあまりなくなりつつある。地球上に点在して、いまだに先史時代からの英知を守り続けてきた先住民たちが、互いにコミュニケーションをとりながら情報を交換する時代が到来しつつあるからだ。
ローリング・サンダーが「重要なのは血ではなくて生き方だ」と喝破したように「人びとはそういう生き方をするように、それのみがただひとつのリアリティだと信じ込むように、徹底的に訓練されている」のである。
1960年代にはじまった人間性回復運動がもたらした最大の恩恵は、われわれはもし望むなら生き方そのものを変えることができるという確信だったと思われる。
自分たちが持ち続けた世界観の限界を超えた物の見方の力を借り受けることによって、われわれは自分たちの生き方をもっと意味あるものへと押し上げることも不可能ではない。
もう一度、日本列島と呼ばれる弓の形をして連なる島々の上に、大きな虹を見たいものではないか。アメリカ・インディアンの生き方を学ぶことで、わたしたちなら、ひとりの地球に生きる人間であるとはいかなることかを学びなおすことができる。
与えられた人生に恐れをもたずに立ち向かうこともできるだろう。弓の形をした島で生きる良きインディアンであれ。
※北山耕平さんは書籍「虹の戦士」の翻訳もされています。
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インディオ達が開拓した有用植物
●穀物・野菜-トウモロコシ/サツマイモ/トマト/カボチャ/
インゲンマメ/アマランサス
●果物-パパイヤ/アボガド/グァバ
●嗜好品-カカオ(→チョコレート、ココア)/バニラ/タバコ/
トウガラシ/竜舌蘭(→ テキーラ)
●園芸種-ヒマワリ/コスモス/ダリア/アネモネ/サルビア/
マリゴールド/各種サボテン
●その他-天然ゴム/ペヨーテ(幻覚性キノコのメスカリト)
●ついでに動物-七面鳥/チワワ
なお南米まで眼を広げると。
★南米原産-ジャガイモ/キャッサバ/パイナップル/ピーナッツ/
ステビア/コカ(→コカイン)/キナ(→キニーネ)
もしジャガイモやトウモロコシやサツマイモやキャッサバ(今は熱帯世界の主食)がなかったら、現世界の食糧事情は成り立たない。
インディオの植物知識は世界に傑出したものだったのです。
なぜならこれらは「自然種」でなく、インディオたちが時間と技術をかけて作り出した「人工種」だからです。 しかもこれらの作物は、インディオの高度な生態系利用技術(エコ=テクノロジー)の一環を成していました。
たとえば水耕「チナンパ畑」は、水路に浮島をつくって人糞などを肥料に用い、それによって作物と魚を同時に養う-という多角的なものでした。 インディオの畑は「混作」が基本です。 土地にただ一種の作物を植え付けるのは、地味を痩せさせるだけだと彼らは言う。
それで一ヶ所に複数種を作付けして、なお「雑草」で覆うのです。 すると地味が豊かになって、土壌流出も阻止できる。 しかも実は「雑草」がみなまた「有用植物」なので、そこから薬草でも染料でも穫れちゃうわけ。おまけに畑に鳥や獣を引き寄せて、猟もしちゃう。
すなわち一つの畑じたいが〈有用生態系〉として構築されていたのです。 以上のような高度技術が、かくも豊かな遺産を現代に残したわけです。
その偉大さに思い至れば、彼らの「世界史」断絶によって失われたものの大きさも、わかるでしょう。
サイト「Ascention2012」より抜粋
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このはなさくやひめ

日本の神々の中に、此花咲耶媛命(コノハナサクヤヒメノミコト)
という神がいらっしゃるそうです。
とても可愛らしい響きで、好きな音(響き)です。
一般的に富士山の神様と言われています。
天孫降臨で有名なニニギノミコトの奥方。
祖父はイサナギノミコト、祖母はイザナミノミコト。
日本の神話の話はよく知らないのですけど、
このお名前はよく聞くことがあります。
そしてコノハナサクヤヒメのシンボルは桜の花なのです。
☆。。。。。☆。。。。。☆。。。。。☆。。。。。
桜の花というと、少し時期はずれになってしまいましたが、
今年は家族でお花見に行ってきました。
夜桜の時間になってしまいましたが、桜のお花のふんわりとしたペールピンクの
雲が漂っている感じで、私のココロはうっとりとなんともいえない感覚に満たさ
れていました。
Creamy & Mild!!
もしかしたらハートチャクラが開いてるかもしれない!と感じました。
満たされた感じってこういうことなのかもしれない!
コノハナサクヤヒメも本当に存在しているかもしれない。
集まっている人たちすべてが、桜を祝福しているように思えて、
私はその場にいる老若男女みんなが愛しいような幸せな気分でした。
そもそも桜自体がいのちを賛美しているのかもしれないですね。
その時撮った写真には、6角形の光が映ったものがたくさんありました。
いわゆる「オーブ写真」というものなのでしょうか?
心霊現象とか、スピリチュアル的にはスピリットだとかエレメンタル
ではないかなど、さまざまな見方があるようです。
ですが今のところ、テクノロジーの発達に伴う現象であるいう解釈が大きい
とのことです。
デジカメで暗いところでフラッシュを使用すると、光りが塵やホコリに
反射して映ることが多いのだそうです。レンズに付着したホコリや水滴
が原因だということです。
私の心では暖かく嬉しい現象であったので、なんでもいいかなぁと思います。
科学的に検証してしまえば、ただの現象になってしまうものかもしれなくても、
自分の心で喜びを感じれば、それは真実なのかもしれないですネ!
はぁ。。。また桜の花に会いたい(笑)。

写真の人物はシルエットにさせていただきました
私もこの光りの中に映ってみたかったのですが、
一枚もありませんでした。。。。
高次元の存在はきっと存在していますね。
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